つい先日友達の愛犬が逝った。

16才の柴系のミックス犬なので年相応とも言える。
しかし、この子は2年前から副鼻腔に腫瘍ができ、臭覚が落ちた為に食べる意欲がなくなって食べれる物探しの苦労が始まった。

重大な病気になった事でそれまで行ってたかかりつけ医から若い先進医療を勧めてくれる先生に変わり、放射線治療で一時は腫瘍も小さくなり鼻も通り食欲も出てQOLは向上した。

しかし、まもなく腫瘍の増殖が再開し、次の治療として分子標的薬やサプリメントを駆使し、2年の年月を暮らしてこれた。

家族はこの子の生活を守るために夫婦2人で愛情と時間を費やしてた。

その時々、病気の進み具合と気温や湿度、身体の気のめぐりを細かく分析して使用するサプリやハーブの組合せを見直して進行を抑えることに苦心していた。

取り寄せたフードを今日は食べても明日には食べてくれない苦悩の時間…
介護を経験した人はみんなぶち当たる苦労だけれど、夫婦にとってそのことが生き甲斐のように私には見えた。
「愛してるんだね」それしかない。

その時間は愛犬が家族に残してくれた尊い時間であったことは間違いない。

私も何頭か看取ってきたし、仕事柄愛犬さんの介護にも携わってアドバイスもしてきた。
老犬の介護と若くから車椅子になった子の介助には長い年月を費やしてきた。

でも、あの夫婦の様な細やかな介護は出来ないかも知れない。
到底一人では、自分の生活もままならないし、周りの生活も狂わせてしまう。

私が介護中心の生活をしていても、パートナーがそこまで出来るとは思ってないし、引きずり込むつもりはない。

ただ、理解して傍で見守ってくれさえすれば良い。そして長く共に暮らした子の最後を一緒に見送ってくれれば良い。
どっぷり浸かった私の気持ちのバランスをとどめてくれたらありがたい。

愛犬の介護、長くなればなるほどしんどい時間は長い。

どうして良いか分からなくなる暗黒の時が深い。

でも、愛犬との年月どう関わってきたかが形になり見えてくる「愛おしい子との愛おしい時間」
そして、互いにどれだけ満足してスッキリ見送り見送られるか、その為の残された生を感じられる大事な時間。

治療の選択も介護の捉え方も其々

ただ、介護は見送るほうの為に残してくれた最後のプレゼント
だから、自分の気がすむ時間を過ごすよう心掛けていこうと思う。